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リゾート  


そう。まるで絵に描いたようなリゾート地。
小島の高台にあるその別荘は、眼下に広がる青々とした海から敷地内にあるプールとテラスの純白のカーテンやカラフルなソファにいたるまで、全てが「誰もが聞かれて思い浮かべるリゾート」の様相を呈していた。
「・・・私の趣味ではないぞ」
憮然としながら誰にとも知れない言い訳を並べるここの所有者は、億劫そうに荷物を床に置いた。
「じゃあ誰の趣味だって言うんです?」
俺も倣ってバッグを置くと、篭った空気を入れ替えようを窓を開ける。
吹き込んだ風までが予想通りの「リゾート」で。
留守の間管理人なんかを雇っていたんだろう、埃ひとつ立たないオレンジのソファに腰掛けながら彼は不機嫌そうに足を組んで頬杖をついた。
「・・・毎年来ることになっていたが」
決して俺と目を合わせようとはせず、だが正しく答えが返る。
「振られた」
今日の彼は妙に素直だ。



初めてのこの場所を散策しようと彼に声をかけたが、一向に動く様子は見えなかった。
まさか荷物の中に詰めてきたのか、分厚い本を膝に広げて顔を上げようともしない。
ここで勝手に行ってしまっても拗ねる要因を作るだけだから、仕方なく俺も落ち着こうかと煙草に火をつける。
紫煙を大きく吸い込んで一吐きすると、彼は視線はそのまま無造作にテラスを指差す。
「ここで吸うな。外へ行け」
「・・・イエッサー」
執務室でも受けない注意に、それでも所有者に従ってテラスへ続く大窓に手をかけた。
白のカーテンが海風になびく。
煙の匂いがそれにあわせて部屋を支配したが、これ以上文句は来なかった。
テラスには脇に階段があり、そのまま庭に降りられるようになっている。
そこに腰を降ろし携帯灰皿を片手に景色を堪能していると。
「好きにしていろ。夕方まで私は本を読む」
そのときまでには帰って来いと言うお許しが聞こえた。
もう少し煙を肺に溜め込んだあと、灰皿に煙草をねじ込んで、俺は一度リビングに戻る。
彼は同じ体勢で本を読んでいた。
ゆっくりと、丹念に字を追っているのが解る。
時々片方の手がサイドテーブルへ向かおうとして、躊躇していた。
「コーヒーでも入れましょうか」
俺がまだここにいると思わなかったのか、ぴくりと揺れる肩に口を緩める。
「キッチンは?」
「・・・右の奥だ」
意地でも顔を上げたくないらしい。彼は捲るページをそのままに声を絞り出す。
緊張している、のかもしれない。
何故かは解らなかったが。



ドアがついていなかったからキッチンはすぐに解った。
広く使いやすそうなこの場所も手入れが行き届いている。
試しに冷蔵庫を開けてみたら、つまみと新鮮な食料が所狭しと並んでいた。
ドアポケットには冷やされた紅茶とミルクとフルーツジュース。
ここで俺は首を傾げる。ミルクは誰が飲む?彼はコーヒーにも紅茶にもミルクは使わない。普通に飲んでいる姿も見たことがない。それにフルーツジュースだって。
・・・振られたという相手の嗜好だろうか。
毎年来ていたと言うのだから管理人が気を利かせて置いていったのかも知れない。
深くは考えないようにして、俺は冷蔵庫を閉める。
コーヒーを入れなくてはならない。
お湯を沸かそうとコンロに向かう。
道具はキッチンテーブルにすでに用意されていた。
コーヒーサーバー。大きめなポット。豆はすでに挽かれているのとまだなのが半々程度。そしてコーヒーカップが3つと持ち手の大きなマグカップがひとつで計4つ。
すぐ使えるようにとの配慮だろうが。
俺は聡い自分を少しだけ後悔した。



じっくり、ゆっくりとコーヒーを落とす。
いい香りだ。彼のもとにも届いているだろうか。
思い出せばいい。そのために彼は来たのだ。
俺はコーヒーをポットに移し替えると、冷蔵庫からフルーツジュースを出してマグカップに注いだ。
カップを4つトレイに乗せて、ポットとともに慎重に運ぶ。
リビングではまだ彼は同じ姿のままだった。
ゆっくり繰られる本。
無言でサイドテーブルにカップを載せる。
他のカップはテラスのテーブルに。
彼は顔を上げていないから、俺の奇行を目にしてはいないだろう。
「プールに行ってきますね」
わざと声をかけてもそれは同じ。
階段を下りようとした俺の後ろを彼の声が追いかける。
いや、彼の声が俺に追い討ちをかけた。
「それはいいが、あそこにあるチェアには座るなよ」
「了解」
返事だけはいいと、後から言われなければいいが。
プールサイドに降りて、赤いチェアと、用意されていた遊び道具を一瞥して、俺は夕方まで彼の茶番に付き合うことにした。
触れてはいけないのはチェアじゃない。



夕張りが辺りを紫に染める。
見上げたテラスからは明かりが漏れてはいない。
静かに俺はそこへと戻る。
彼は相変わらず同じ姿で。
読めるはずのない本に視線を落としたまま。
俺は溜息をついた。
「そりゃ振られるはずですね。毎年招待していたんですか?」
彼は肩を震わせた。
気付かれないとでも思っていたのか。
「あの家族が加われば確かに絵に描いたような避暑だ」
見ればコーヒーはほとんど減っていない。お口には召さなかったらしい。
「赤いチェアに座りながら小さなお子さんとご両親はプールサイドで遊んでいて、貴方は優雅にここで読書。時々旦那さんは戻ってきて、貴方と会話でもしたんでしょう。ポットにコーヒーを入れてくださっていたのは奥さんですか?それとも旧友?」
それはそうだ。このコーヒーは彼の望んでいた味ではない。通常よりも濃く淹れた、現実に引き戻すコーヒーだ。
「一人でくれば良かったでしょう」
彼がそれを出来ないのを承知で俺は言い放つ。
彼から声はあがらない。顔も上げない。
紫が群青に移行して、お互いの表情が見えなくなってもそれは同じだ。
「俺を無視して、そのくせ人の気配を感じていたかったくせに」
部屋の入り口へ歩み寄る。スイッチに手をかけて明かりをつける。
茶番の終わりのときだ。
動かない彼に俺はゆっくりと手を伸ばす。
「選択を間違いましたね。俺は貴方に土足で入り込みますよ」
無理矢理上を向かせて、存外力の篭った眼に微笑みかける。
「貴方の感傷なんか知ったことじゃない」
噛んでいた、火の付いていない煙草を床に落とした。
抵抗がないのをいいことに、精々優しく口付けた。
「俺は貴方とのリゾートを楽しませてもらいます」
唇を舌でなぞり、そっとそれを抉じ開ける。滑り込ませると彼はやっと抵抗を見せ始めた。
それでも本気ではないのかやすやすと押さえ込むことが出来、俺は自嘲の笑みを浮かべる。
吸いきれなかった唾液を追うように唇を這わせ、軍服では見ることの出来ない彼の首筋に歯を立てる。
熱い息を吐いた彼に、俺は静かに声を吹きかけた。
「それとも去年も、同じように楽しんだんですか?あの人と?」
瞬時。
彼の膝が俺の腹目掛けて突き上げられた。予想の範囲だったが彼の動きが予測より速く、避けても掠めた衝撃に息を呑む。錬金術を得手としていても、彼が鍛えられた軍人であることを少々失念していたらしい。
「ひどいですね」
「自業自得だ」
「それは貴方の?」
罵倒の言葉は返ってこなかった。

あぁ、駄目だ。
彼の選択は正しい。

俺が彼のこんな顔にめっぽう弱いのを無意識に熟知している。
弱さを見せたくないとしながら、隠すことの出来ない彼の弱さ。
後悔の色を見せる瞳を瞼に口付けることで閉じさせる。
「今年は無理だった。来年も駄目かもしれない。でもいつかまた招待できるときが来ますよ。あの家族にとってもここは楽しい思い出なんでしょう?貴方のそんな顔はそのときでいい」
柔らかく抱き締めこどもをあやすように背を叩く。
「皆で来ましょう。奥さんも娘さんも、中尉や他の皆も呼んで語り合いましょう」
それでも強ばったままの彼に俺はありったけの気持ちを捧げる。
「今までだって毎年同じ事があったわけじゃない。奥さんが増えた、娘さんが出来た。俺らが増えたってそれは許される変化でしょう?」
「だが彼はいない」
「仕舞っておきなさい。今は俺と楽しみましょう」
「いないんだよ」
繰り返し囁かれる、届かない睦言を、俺はそっと封じ込めた。



素直な彼に敵うわけがない。
本当に、彼の選択は正しい。









END
This Edition : 200304162020




飲み会をした居酒屋にマックナイトの複製が飾ってあったのですよ。
マックナイトの絵には大抵タイトル?が下に書かれていて、ご一緒させていただいていた方がそれの文字を「どーもマスタングって読んじゃう」って呟いてくださったのが元凶(笑)。一気に妄想が駆け巡りました。誰もフォローしてくれなさそうなので、酔っていたのよね・・・と自分を慰めてみます。ちょっと途中で逃げているようですが、妄想はここまでと言うことで(笑)。

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