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リゾート2  


本を繰る。
青い海と爽やかな風。
揺れる白いカーテンにカラフルな家財たち。
リゾートには不向きな過ごし方かもしれないが、日々を喧騒に包まれているからこそ、落ち着いた空間で静かにありたいと思うのもまた間違いではないだろう。



本を繰る。
コーヒーの香りが漂ってきた。
ここでしか飲まない地元の銘柄だ。
一度だけ顔を上げる。
視界に映った風景はまるで絵画のように変わらなかった。




本を繰る。
私より遅れてやってきた彼は、何故か荷物ではなくコーヒーポットを手にしていた。
「今回はお招きありがとうございます。これはささやかなものではありますが御礼のしるしと言うことで」
勝手にキッチンに入り込んだのだろう。ここでしか手に入らない香りに私は顔を顰める。
「ふざけていないで寄越せ」
「へいへい」
丁度蒸した空気に喉が音を上げようとしていたところだ。目の前で注がれて差し出されたコーヒーを呷る。
その間に彼は景色を眺めに行ったのか窓際に寄り、そしてまだ開けていなかったテラスへの大窓に手をかけた。
「何事も循環が必要なんだよ。片方だけじゃ役に立たない」
途端入り込む南国の風はここが世俗と離れた場所であることを実感させる。
「で、せっかくのリゾートでお前は優雅に読書かよ」
「私の休暇だ」
「俺の休暇でもあるんだけどな」
勝手にさせてもらう、と続けようとした言葉は彼の声に巻き込まれて音にはならなかった。
肩を竦められても私はそれを視線で追おうとはせず。
赤い一人掛けのソファに腰掛けた彼がどんなに絵になろうとも本から顔を上げるのを頑なに拒否した。
彼は気にしない風だった。
「にしてもお前よくこんなところ知ってたな」
「何故だ?」
「到底お前の趣味じゃない」
正解だ。本来ならこんなところを買おうとは思わない。
「知人が入用で安価で譲ってもらった」
「そりゃすごい」
行儀悪く吹かれる口笛に掴んだページに皺がよる。
立ち上がる気配。
腕が掴まれる。
仕方がなく顔を上げるとそこには人を食ったような笑顔。
「じゃあここで何しようとも誰にも迷惑はかからないってわけか」
「・・・私が迷惑だ」
振り払うと本気ではなかったのだろうすんなりと離れていく。
「本を読んでいるんだ。勝手にしていろ」
「Yes Sir?」
肩をすくめて彼はテラスに向かった。
静寂が部屋を支配する。




本を繰る。
何度も読み返した本だ。
内容はすでに暗記し、尋ねられればどの辺りに何が書いてあるのかも答えられるだろう。
大して面白いものでもない。
それでも毎年繰り返す。
ここでまず読むのはこの本で。
ゆっくり噛み締めるように一文字一文字を味わい尽くす。
無駄ともいえる時間を使い、暗くなるまで、暗くなっても。




本を繰る。
薄紅の日の光は到底読書の環境には適さない。
それでも明かりをともす気になれなかったのは、単にここから動きたくはなかったからだ。
どうせそろそろ彼が戻ってきてからかいのひとつでも口にしながら部屋を仮初めの昼に変えるだろう。
そう思っていたのに。
「そろそろ聞かせてもらおうか?」
彼はテラスの入り口で佇んだまま部屋へ入ろうとはしなかった。
外との境界がない今しか入ることが出来ないのに。
引いた線の向こう側で彼は佇む。
「なんでここに俺を呼んだんだ?」
最後の光は彼が遮っているから文字は読めない。
それでも私はページを握る指を離さない。
「返事だと思っていいのか?」
いっそ強引に視線を合わせてくれれば答えは見えるだろうに。
彼はギリギリで選択を私に押し付ける。
観念しなければならない。
「・・・私は」
用意してきた答え。
「私は、お前のコイビトにはならない」
突きつけてどうなると言うのか。
ならば何故ここに呼んだのか、彼は悟ってくれるだろうか。
「・・・そっか」
顔にかかっていた長い影が眼下に降り。
止まれ、留まれとひた祈る。
「私には」
次いだ言葉にその効力があったのか。
「いつか私が死んだとき、悲しむ人間は、いらない」
互いの表情は見えない。濃赤が影を取り込んでいく。
「惜しい人物が死んだものだと」
これほど確実に訪れる未来を話しているはずなのに、あまりに現実感が乏しく、私はそれを夕日のせいにする。
「私は惜しまれて死にたい」
「だから、か」
揺れるカーテンも世界も全て現実ではない色に染め上げられる。
影はとうに見えなくなった。
だから近づく気配を悟れない。
「友人としてなら、付き合ってやらんでもない」
「過剰な友情だな」
「お前次第だ」
重なった影ももう見られることもなく。
「じゃあお互いじじいになって、退役軍人の膨大な退職金でのんびりここでチェスでもやって」
夢物語を語っても。
「死んじまったらそんときやっと惜しんでやるよ。『唯一チェスでわしの相手になる奴が死んでしもうた』ってな」
「失礼な。私はそこまでヘボじゃない」
どっちが失礼だ、と彼は耳元で囁く。
「それまでは嫌がらせをしてやろう。目一杯悲しんでやる。覚悟してろ」
「肝に銘じておくよ」
本に縋る手はそのまま。
「来年の土産はあのプールに赤のデッキチェアだな。殺風景にも程があらぁ」
「勝手にものを増やすな」
「ものだけじゃないぜ。いつか嫁さんも連れてくる。俺と嫁さんの子供はそりゃ可愛いだろう」
「あてはあるのか」
「これからこれから」
紡がれる夢物語。
「息子とプールで競争するのもいいが、やっぱ娘だよな」
「お前の奥方には同情するな」
「何言ってんだ。幸せものだぜ?旦那は男前。もれなく情けない友人だってついてくる」
「情けないは余計だ」
「チェスをするときたくさんの孫に囲まれて、半々に分かれて俺たちの応援だ。勝ったほうに付いた奴らがグランマの美味しいお菓子にありつけるんだ」
軍役にあっては本当に夢でしかない話も。
「だから俺を振ったことを後悔してろ」
「誰がするか」
落とされた口付けも。
全ては紅に隠される。
「・・・過激な友情だな」
「俺次第だからな」
そんな夢の中で彼は笑った。
私は彼を置いて無理矢理本の世界に戻ろうとし。




本を繰る。
すでに冷めてしまったコーヒーを一口、口に含んだ。


顔を上げた。
繰る手が止まった。




ただ紫がここを支配していた。






END
This Edition : 200304180218




続きっていやぁ続き。過去って言えば過去。
「俺の荷物を取りに行かんとな。盗まれてたらお前のせいだぞ」
「置いてくるのが悪い」
「意外と小心者なんだよ」
最後に書くのは反則ですが、本当はこの台詞をどこかに入れたかった・・・。

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