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No Title  


彼をここまで動揺させることが出来るのは、後にも先にも目の前の人物だけだろうと、秘書は内心呟いた。
もちろんそんなことはおくびにも出さず、冷静に自分の雇い主がひっくり返したお茶(グラム55000円のほうじ茶)をふき取る。
「・・・・・・今、なんと言った?」
彼の声が、心なしか震えている。
長年仕えていた自分だからこそ解る変化は、ちょっとした自慢のようなものだ。
(それだって未だ誰にも誇ったことなどない。当然のことだ)
「好きだ、と思う人が出来た、と言ったんだ」
彼の湯のみ(一客1200000円相当の有田焼)がかたりと揺れる。
何でも報告する癖は別にかまわないが、時と場合と内容によるということを教え忘れたのは彼の珍しい失態なのだろうか。
「・・・・・・・・そうか」
大きく息を吸い込む彼。
「それは、どのような方なのだ?」
大切に大切に育ててきた弟のような存在に、いきなりそんなことを言われては仕方がないのかもしれないが、見つめる目は真剣に、事あらばそっと引き離すこともいとわない決意が彼からは窺える。
それを解っているから、自分も意識を会話に向けた。
失礼にあたらない程度に、だが社長の意志を読み取る程度に内容を理解するのは秘書の役目だからだ。
「うむ」
こくり、と肯いて、お茶を一すすり。
乾菓子(某銘菓を直送。一粒7500円)に手を出す暇があったら続きを話せ、とは言えない彼の苛立ちが伝わってくる。こんな光景はなかなか見られたものではない。
(実は自分も気になる。社長の生き写しとも言われるはとこ殿はどのような人を選んだのか)
彼の気を落ち着かせようと、手にしていた湯飲みにもう一杯お茶を注ぎいれる。
実は猫舌な気のある社長に合わせた適正温度だ。
それを渡して、彼が一口含んだのを見守った頃。
ようやっと、乾菓子から手を休めた口から、言葉が漏れた。
「・・・まず、客観的に見て、格好良い、と、思う」
めったにない伏せがちの目はもしかして照れているのだろうか。
乾菓子ももしや照れ隠しだったのかもしれない。
それにしても「格好良い」とは珍しい形容詞だ。なかなかそれに当てはまる女性は難しい。
それは彼も思ったのか、意外そうに話を聞き入る。
「それに、あれは美人だと、言ってもいいのだろう」
「ほぅ・・・」
「頭の回転も悪くはない」
格好良くて美人で頭脳明晰。(天才にそう言わしめるのだから、この表現も過ちではあるまい)
そういえばご母堂はそのようなタイプだったと記憶している。
自分の母親と同じタイプを好きになることは良くあることだから、きっとその女性もそのような感じなのかと想像図を思い浮かべて。
彼の眉が険しいままなのには、彼のためにも気付かない振りをしておいた。
「それに」
一息置いて。
「優しい、時もある、かもしれん」
・・・・・・これは、彼の手を出せる域ではないと判断するのは、彼に対する軽い裏切りになるのだろうか。
そう思って彼をそっと横目に眺めやってみたが、この判断も一緒であることはすぐに見て取れた。
呆けた(失礼)ような一瞬の後、目の前の人物ほどまでいかないが、柔らかい目許で諦めの息を付いた彼は、やっと落ち着いてお茶を口に含めたようだ。
「それは素晴らしい女性だな。今度ぜひ紹介してく・・・」
「違うぞ」
「何がだ?」
「そいつは男だ」

一気に体感温度が43度近く(部屋の適温は25度。冷凍庫の温度は−18度。グループ食品部の冷凍庫の温度操作はいつも完璧だ)下がったのは気のせいではないはずだ。

湯のみがひっくり返っても、手を出せないのは秘書失格かもしれないが。
「・・・・・・・・・今、なんと、言った?」
これは長年仕えてきた自分でなくとも、彼の声が震えているのが解るに違いない。
「だから、そいつは男だと、言ったんだ」
がちゃり、といい音を立てて有田焼が割れてしまったが、それよりも彼の手の方が気にかかる、が。
何でも報告する癖を身に付けさせた彼の、この完全な失態の方が、及ぼす影響が大きいのだろうと。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうか」
彼は大きく息を吸い込んだ。



見たこともないはとこ殿の恋人(推定)に同情はすまい。
失礼にあたらない程度に、だが社長の意志を読み取る程度に内容を理解するのは秘書の役目だからだ。



もしかしたら私情も入り込んでいるかもしれないが。
そのくらいは社長も許してくださるだろうと、信じている。
・・・秘書は、失格だろうか?




END

This Edition : 200105172243











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