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いとしのはぴぃでいず 2  


武蔵森サッカー寮の応接室。
とは言っても玄関脇に小さなテーブルとソファが置いてあるだけなのだが、寮内の住人に来客があった時は大抵初めにそこに通すことになっている。
そうして向かい合うのは武蔵森守護神・渋沢克朗と不破大地の二人。
初めは物珍しそうに眺めていく面々も多かったが、3・4日に一度のこの光景は、3週間たった今となってはもはや日常のものになりつつあった。



「まだ風邪は治らないのか?」
「あははは・・・そうみたいだね」
渋沢から受け取った缶烏龍茶を一口含んで、不破はおもむろに尋ねた。
一方の渋沢は長引く風邪に赤くなった鼻を掻きながら苦笑を浮かべる。
二人の前には渋沢用のティッシュケースと、いかにも市販されていなさそうな紙に包まれた薬。
不破は渋沢の言葉に頭を捻らせる。
渋沢の意見を聞いて少しずつ使う薬を変えているのに(ちなみに実際に調合しているのは薬剤師資格保持者)、なぜ一向に治る気配を見せないのだろう。
それが自分の持ちこんだ薬のせいだと気付きようもない不破は、次の薬の処方を考えるために、少しだけ身を乗り出して渋沢の症状を眺め始めた。
渋沢はいつもの事ながら気まずそうに、それでも極力にこやかにその視線を受けている。
と、そこに。
「あ、不破じゃん♪ 今日も来てたんだ」
さりげなさを装ってどう考えたって白々しい登場をかましたのは藤代誠二。
今やめっきり少なくなってしまっていたギャラリーの一人だ。
実は藤代が解りやすいまでに二人の世界を邪魔したのには訳がある。
不破は、最初の衝撃が自分でも痛かったのか、次からは幾分おとなしく熱を計りだした。
いささか乱暴に渋沢と自分の髪を掻き上げ、額同士をくっつける。
本人はいたってまじめな作業なのだろうが、それは見ている者にもされている者にも大変大変毒のある行動だ。藤代なんて一回自分も風邪を引いてやろうと、この寒空に半袖で練習したぐらいだったりする。それでも健康そのものの藤代は、あきらめて邪魔をすることにしたのだった。
なのに不破はそんな邪魔ももろともせず(というか邪魔だとは全く思っていない)片手を上げて藤代を制止すると、既に待ち構えているきらいのある渋沢の額にこつりと自分の額を当てた。
「・・・ふむ。この間よりは若干熱は引いている気がするが・・・」
「・・・・・・そ、そうかな・・・確かに楽には・・・・・・」
「だが、そのティッシュの使用量を考えると、今度は鼻にきたということか」
「・・・そう、かな・・・」
はぁ、と溜息を付いたのは藤代と別の場所で覗いていた三上だった。
どうしてここで「もう大丈夫」という言葉が出てこないのか。
一言言ってしまえば無理に副作用が出るのが解っている薬を飲むことはなくなるだろうし、この武蔵森松葉寮も安泰安静平穏な日々が戻ってくるというのに。










トコロ変わって桜上水サッカー部。
黙々と練習をこなした不破は、部室のロッカー前で一人先日からの疑問に考えを巡らせていた。
いつになっても渋沢の風邪は治らない。薬の調合の仕方が悪いのか、それともどんな薬も効かない新種の風邪か。
診察資格の持たない自分では判別付きかねるが、そんなにすごいものなのだろうか?
「・・・・・不破くん?まだ帰らないの?」
呼ばれて顔を上げると、練習後の疲れを癒していた部員たちもほとんど帰路についていた。
着替え終わっていないのは不破だけで、声を掛けた風祭も鍵を持った水野も既に鞄を肩に掛けている。
「鍵を掛けるために待っているのであれば、鍵は引き受けるが?」
そんな不破に水野はため息をつき、風祭は苦笑をもらした。
「違うよ。何だか不破くんが考え込む時間が増えたような気がするから」
「お前のそれは癖だってやっと解ってはきたが、練習中もそんなではこっちも困るからな」
と、そこにひょこりと顔を出したシゲがちゃちゃを入れる。
「素直に心配やってゆえばえぇのに」
途端水野にぎろりと睨まれて、シゲは早々に降参の手を上げた。
「おーこわ・・・。ま、そういうことや。悩み事ゆーんやったら俺らが相談に乗ったるで?」
「話すだけでも違ってくるんじゃないかな?」
不破は3人をじっと眺めた。
確かに今回のようなケースは、自分個人の経験だけで推測していくよりも他者の状態とその回避方法を聞いた方がより解決に向かうかもしれない。
そう判断した不破はこくりと一度うなずいた。
「・・・では、お前たちの、一般的に風邪と呼ばれる症状への対処法とは何だ?」
「風邪?お前が?」
「大丈夫?!」
「なんや。不破りん大人しゅーしてる思うたら風邪ひいとったんかい」
「俺ではない」
逆に質問を返されて、それでも不破は律儀に答える。
「じゃあご家族の人?」
風祭は心配そうに眉を寄せる。
少しの間視線を上にさ迷わせた不破は、説明するのも面倒だとため息を付く。
桜上水と武蔵森はいわゆるライバル校であること位は今までの中で理解できていたし、未だ水野はよいイメージを持っていないに違いない。
そして結論。
「・・・・・・そのようなものだ」
不破は珍しく言葉を濁すように呟いた。
それを聞いた風祭はうんうんと肯く。
「そっかぁ。やっぱり心配だよね」
「かと言って風邪を引いた時はなぁ」
「薬飲んで寝とればええんとちゃうか?」
「どうやら薬が効かん体質らしくてな。いろいろ試したがさっぱり良くなる傾向が見えん」
実際効きすぎて困っているわけなのだが、そこら辺の事情はもちろん不破が知るわけはない。
「じゃあどうしたらいいんだろうね」
「俺の家では、引き始めは薬に頼らずにってよく卵酒とか飲まされるが」
「見かけに寄らずタツボンちは渋いのぉ」
「うるさいな」
またも水野はシゲを一睨み。取り繕うように風祭が話題を続ける。
「僕のうちでははちみつ大根かな」
「何やそれ」
「大根をブツギリにしてね、はちみつに漬けておくんだ。一晩くらい置いておいたら汁が出るからそれをグッとね」
妙にうれしそうに説明する風祭を水野がとめた。
「ちょっと待ってくれ。想像しただけで気持ち悪くなる・・・」
「え〜っ、確かにそこまでおいしいと言うわけじゃないけど本当に効くんだよ!」
二人の言い合いはともかく、不破は作成方法をインプット中。
「了解した。次回試してみよう」
そう締めて途中になっていた着替えを再開しようとした不破にシゲがニシシと笑った。
「なぁ、不破不破♪もっといい方法があるで?」
「?」
「究極の民間療法や」
首をかしげた不破に、シゲは妙に楽しそうに耳打ちした。










そうしていつもの松葉寮。
苦笑いの渋沢と、今日はちょっと自信ありげな不破が応接室で対峙している。
テーブルの上に並べられたのは、いつもの薬と、なにやら不穏な雰囲気を漂わせるタッパー数個。
不破は尋ねられた渋沢に、その種類と使用法を語りだす。
「これは主に鼻風邪に焦点を合わせて調合した薬だ。成分は・・・」
「このタッパーは?」
聞いたところでさっぱり解らない薬の説明に律儀に耳を傾け終わった渋沢は、先ほどから気にかかっていたタッパーを指差した。
「蜂蜜大根、だそうだ」
「え?」
「風邪の引き始めに食すといいらしい。薬の効果が期待できない以上、少し見かたを変えてみようと思ってな」
そして一つ一つを解説していく不破。
薬ではない分いいことはいいが、それを全て食べるとなると、少々気がめいってくるものばかり。
それでも自分のために不破が調べてきてくれたのかと思うと、渋沢の気持ちは急上昇する。
「ありがとう、不破くん」
とろけそうなくらい甘い笑顔に鼻の赤さが玉に傷。
あとはいつもの検温というところになって、不破は通常と違うことを言い出した。
「もう一つ、聞いてきたことがある」
「ん?何かな?」
身体のだるさを足したとしても、気分軽やかな渋沢は嬉しそうに不破を促した。
「・・・」
来い来い、と無言で手招きする不破。
まずは熱を測るのかな?と警戒もせずに渋沢は顔を近づける。
「あ、不破!来てたん・・・」
この時ばかりはエースも遅かった。
いつものように邪魔をしようとして、まるでスローモーションのようなその光景に釘付けになる。
不破は互いの髪を掻き揚げるための両手を、今日は渋沢の服の襟首に当てた。
Tシャツが伸びるのも気にせずに、一気に自分に引き寄せる。
「え・・・・・・」
そして、ぱくりと。
驚きで微かに開いた渋沢の口に噛み付いた。
かのように、見えた。





凍り付いた空気を粉砕したのも不破だった。
少々自分でも苦しくなったのか、押し返すように渋沢の肩を放して息をつく。
濡れてしまった唇を手の甲で拭く姿は、いろいろな意味で周りの時間を動かし始めた。
「・・・・・・・・・・・・もろベロチューだよ・・・・・・・・・・・・」
誰かの呟きが響く。
それに関しては気にも留めていない不破は、固まってしまった渋沢に向けて講釈を始める。
「民間療法の一つとして『他人にうつす』というものがあると聞いた。何故うつすと症状が良くなるかはこれからの研究の課題だが、古くから言われているのでそれなりの効果はあるのだろう。渋沢の風邪もなかなか治らないことだし、試してみようと考えたのだが、こういった風邪の場合、感染経路としては空気感染と粘膜感染が主なものだ。風邪の流行る時期に人ごみの中に行くなというのと、風邪を引いた者の口を付けたものを食べては駄目だというのはそういうことらしい。また、空気感染は、ある程度の時間を共有しなければ難しいが、粘膜感染ならば手っ取り早く試す手段がある。すなわち口内の粘膜によって風邪の菌をうつすという方法だ。この方法を実行する場合、うつす相手は状況的に俺が妥当だろうと・・・おい、渋沢。聞いているのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・悪りぃ。ちょっとこいつ、疲れたみてぇだしよ。俺があとから部屋に運んでおくから、今日のところは帰れよ、な?」
気力を振り絞って意識を取り戻した三上が、不破から渋沢をひったくりつつ言った。
言葉づかいがこの上なく穏やかなのは、動揺が抜けきれていない証拠だろう。
だが、これ以上不破に近づけておいたら、いつ本格的に壊れてしまうか解らない。
動けるものは、比較的軽傷な三上しかいないのだ。
「ほら、藤代送ってこい。・・・藤代!」
渋沢を抱えた状態で器用に藤代の向こう脛を蹴り付ける。
痛みに正気に返った藤代はというと。
「・・・・・・不破!!俺にも!!!!!」
「ざけんなぁぁ!!!」
三上の回し蹴り炸裂。あんな気色悪いもの何度も見せられてたまるか。
「とっとと行ってこい!」
「ちぇっ・・・解りましたよ。じゃあ不破、後でお願・・・はい、ごめんなさい、ミカミせんぱひ・・・」
後ろ頭をサッカー部員にあるまじき握力で鷲掴みにされ、藤代は冷や汗だらだらに姿勢を正す。
「それでは不肖藤代誠二、お見送りに行って参りま〜す!」
未だ渋沢の容体を微かに目を細めて眺めていた不破をぐいぐい押しながら、藤代はそそくさと出ていった。
不破の姿が無くなってすぐ、レーダーが反応したのか、固まっていた渋沢がパチパチと何度か瞬きした。
「・・・あれふわくんは?」
「帰ったよ」
苦々しい口調で言い捨てた三上を押しのけ、渋沢は今まで不破の座っていた方へふらふらと歩き出す。
何が起こるかと心配そうに眺めていた三上は、渋沢の意図に気付いて、慌てて声を荒げた。
「おい!渋沢っ!」
渋沢が手に取ったのは、不破が置いていった薬の束。
「おれもういっしょうびょうきでいい・・・」
「待て!お前台詞が全部平仮名だぞ!」
紙包みをぎゅっと握り締めた渋沢は平淡な高笑いを上げる。
「さいわいおれってくすりがあればびょうきになれるし!」
「うわぁぁぁぁ!!渋沢!!!正気に戻れ!!って全部飲むなぁぁぁ!!」
ちなみに不破が持ってきた薬は、3日分。
普通の人間だって全てを飲んで無事でいられるかどうか。
もちろん、渋沢の体質は改善されていないのである。



薬は服用上の注意をよく読み、分量を守って適切に飲みましょう。



そんな言葉は空しく宙を浮いていた。










またも余談のその後。
「面会謝絶?」
いつもの通り3日後に寮に現われた不破は、不機嫌そうな三上の言葉に少しばかりの戸惑いを見せた。
3日前まで、だるそうではあるものの自分に向かって笑っていた渋沢が、今は面会できないほどの状態であるらしい。
本当はこれ以上渋沢が壊れないためのサッカー部一丸となっての「強制謝絶」なのだが、それは不破の知り得ない部分である。
「そ、もうきちんと医者にも看せてやったから、お前の薬は用なし」
三上は、鞄の中に入っているだろう、今や渋沢にとっての薬物(もちろん悪い意味)になってしまった薬を牽制する。
「お前の小さな親切運動もこれで終了って訳だ。お疲れさん、もう帰っていいぜ」
不破がこの↑言葉のあとに大抵何が続くか知っている訳なかろうに。
「・・・そうか」
こくりと。
思ったよりもあっさりと不破は頷いた。
その表情に悔しさなどは見受けられない。本当にあっさりとしたものだ。
ただ少しだけ泳いだ視線は、すぐに三上にあわせられる。
「では藤代は会えるのか」
「藤代?」
「は〜いはいはい!不破!俺ここ!」
三上が疑問に思うまもなく、もちろんのこと後ろでことの様子を窺っていた藤代が飛び出してくる。
「何?俺に用?あ、別に用が無くても全然OKなんだけどっ♪」
嬉しそうに捲くし立てる藤代をじっと観察した不破は、ふむ、と一回頷いた。
そして一言「では帰る」と、すたすたと寮を出て行ってしまう。
「え?不破?なんでもう帰っちゃうの?」
追いかけようとした藤代を、三上が肩をがしりと掴まえて止めた。
「何ですか、三上先輩。邪魔しないでくださいよ!」
「・・・・・・お前、一昨日の部会のことを忘れたのか?」
「へ?」
「口の軽いお前に『不破に渋沢の様子を伝えない』ってのが守れるってのか?そうか、口が軽いってのは俺の勘違いだったか。そうだよな、元々はお前が不破に電話で風邪のことを言ったせいでこんな茶番が始まったんだもんな。そりゃ流石のスポンジのーみそ藤代でも反省してるか。あぁ悪りぃ悪りぃ。ほら追っかけて来いよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・部屋に戻ります」
実は壊れているのは渋沢だけではなかったのか。
これまでにないほどの笑みを浮かべる三上に、藤代は泣く泣く部屋への階段に向かったのだった。










一方の不破は、慣れてしまった寮→自宅までの帰り道を歩きながら、一人考察に励んでいた。
渋沢は病状が悪化して動けないと言う。あれだけ薬を飲んでいたにもかかわらずだ。
薬を飲んで現状維持だったのなら、何の要因で悪化したのだろうか。
ひとつの仮説も浮かんだが、それは藤代がぴんぴんしていたので当てはまらない気がする。
いや、もしやあの療法は一人目の渋沢のみ有効だったのだろうか?
「・・・・・・俺は風邪を引いていたつもりはなかったのだが」
もしそうなら謝罪すべきか感謝すべきか。
人に何かをしてもらったら、こういった反応を返すべきであると風祭も言っていたし。
「風邪を貰ってくれてありがとう、になるのか?」
見当違いの考察を続ける不破は、一人呟いていた。










END

This Edition : 200009181947









ちなみに「蜂蜜大根」は実際に行なわれている民間療法だそうです。

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