| 路地裏の住人 |
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「あ」 藤代は視界の端に通り過ぎたモノに合わせて頭を動かした。 路地裏に入り込もうとするそれを暇に任せて追いかけることにする。 最近見かけるようになった猫だ。 毛並みはいいからきっと飼い猫だろう。 何度も撫ぜようとして手を伸ばしているのだが、ネコは戦士である藤代以上に俊敏で警戒心が強いのか、いまだそれが達成されたことはない。 黒い猫。 藤代が追って路地裏に辿り着くと、猫は待っていたかのように足を止めていた。 これもいつもの通り。 この猫は人を警戒するわりに、人を人として理解しているかのように立ち振る舞うことがある。 例えばいざこざの起きている路地の端でその様子をただ見ていたり。 行き倒れか、うずくまった人間の傍を何度かうろうろしたり。 藤代が追いかけてきたことを承知してその姿を見せたまま待っていたり。 「今日こそ触らせろよ〜」 猫を見かけるのは、藤代にとってはいつでも路地裏の出来事だった。 まさか人目を避けているのか、単にこの周辺に飼われている家があるのか。 薄汚れていると言っても過言でもない路地裏で、猫はつややかな黒毛はそのままに居る。 藤代が近寄ろうとタイミングを計っているときも、毛づくろいをして、小さくあくびまでしてここが彼(もしくは彼女)の居場所であると言いたげに。 この路地裏の住人を捕まえるのが、ここ最近の藤代の目標だった。 そろそろこの顔も見慣れてきたのか、藤代がにじり寄っても猫は動かない。 家と家の間から差し込む日差しをささやかに浴びて、まるでその体自体が光るようだ。 あともう一歩踏み込めば手が届く。 出会うたびに試行錯誤を繰り返し、やっとの思いでこの状態まで逃げられないようになって。 ふと。 目が合った。 実際には気のせいかもしれないが、青みがかった猫の目が藤代の姿を捉えた。 まるで意思を持っているかのように細められる瞳は、ガラス玉のように光でもって色を変える。 まっすぐ見据えられて、藤代は思わず苦笑する。 ── そう言えば、この猫を構い始めたきっかけもこれだっけ。 まるで誰かを髣髴とさせる。 猫のたった一匹でそれを厭うこともないように悠然に歩く姿が。 「似てるんだもんなぁ」 今日もきっと逃げられるだろう。 捕まえようと張り詰めていた意識はその目に霧散させられてしまった。 これでは近づこうとしても彼もしくは彼女の機嫌を損ねて踵を返されるだけ。 きっと触れられればとても気持ちがいいだろうに。 そう思わせる毛並みと佇まいは今日も捕らわれることなく。 「またな」 これ以上猫を猫と思わないような、こんな気持ちで路地裏の住人のテリトリーに入ることは憚られ、藤代は軽く手を振った。 猫に挨拶なんてばかげているかもしれないが、それでもこうすることで彼もしくは彼女の存在をそれとして認めるような気になれた。 そろそろ宿に戻らなければならない時間でもあるはずと、踵を返し意識を通りに向けたとき。 「にぁ」 声とともに、足元に何かが擦り寄る気配。 何か、なんていわなくてもわかる。 視線を移せば整えられた黒毛。 思わずしゃがんで手を伸ばそうとしたが、猫はからかっているかのように足元をすり抜けてまた路地裏へ戻って行った。 鳴き声も初めて聞いた。 残念ながら毛並みは直接確認することは出来なかったけど。 藤代はどうやら自分をテリトリーの中に入れても安全だと認識してもらえたらしいことに笑みをこぼす。 「なぁ、今度は触らせてくれよ」 返事は帰ってこなかったが、視線がもう一度だけ藤代に投げられた。 やはり人を理解しているような振る舞いに藤代はもう一度手を振った。 猫は器用に飛び上がり、塀を越えてその路地裏から姿を消した。 END This Edition : 200309030127 |
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