路地裏の住人・3





猫は猫でしかなかったのに。




目があったような気がして、三上はそのままきつく睨み返した。
隣りにいた藤代は瞳を輝かせてその猫を追おうとしているが、三上はさっさといなくなることを願った。
苦笑いしている渋沢も、それ自体に対して嫌がっている気配は無い。
たかが猫に異様とも言えるほど嫌悪を示しているのは自分だけ。
それでもこの態度を翻すつもりはない。
一度だけ、あからさまに足を踏み鳴らすと、黒猫は全てを承知しているかのように身を返して塀の向こうへと姿を消した。

「何するんすかー!」

よく見かけるようになったのは大通りからさして離れてはいない路地裏。
藤代の不平は聞き流す。
存在するなとは言わないが、出来ることなら自分の前に姿を現して欲しくは無い。
猫は、自分の警戒をまざまざと見せ付ける。

「可愛い猫だったな」
「へへっ、そうでしょう?最近よく見かけるんスよ」

渋沢に言われて、自分の猫でもないくせに藤代は嬉しそうに笑った。

「綺麗な毛並みだったな。飼い猫か?」
「どうなんでしょうね。やっと近くにいっても逃げなくなったんすけど、まだ触らせてもくれなくって。今日こそはーって思ったのに、三上先輩が大人気ないことをするから・・・」
「うっせぇよ」

大人気ないのはどっちの方だ。

三上は不機嫌そうに髪を掻き揚げる。
お気楽な二人に批難がましい目で見られようと気にしてなどいられない。
もしかしたら、あれが例えば藤代の猫であったら、もう少しは態度を軟化させることも出来たかもしれないが。

それでも口には出さなかったとは思うが。

猫は、鳥は、犬は、動物は。

警戒すべきものと。






「にぁ」
「・・・またてめぇか」

三上はこの通りを選んだことを心底後悔する。
いくら宿への道が一番近かったとしても、ここを通るべきではなかった。
いつでもそこに現れる猫は、まるでここにいるのが目的であるかのような感覚まで生み出して。

『三上は猫が嫌いなのか?』
『あんなに可愛いのに信じられないっすね』

「俺はテメェが大ッ嫌いなんだよ」

あの時二人に問われた答えをもう一度繰り返す。

誰かに可愛がってもらいたいのなら、そうしてくれる奴のところにいけばいい。
たかが猫に警戒を解けない自分の前に姿を現すなんてやめてしまえばいい。
なのにこうしてそこにいることを示すその黒毛に忌々しさまで感じている。

三上にとってここにいるものは猫ではなく。

路地裏の住人は、あくまで住人なのだ。

警戒せよと、言い聞かせられた、逃れたいしがらみが三上を未だ縛っていることを見せ付けられる。

未だ逃れられないのだと。

「あっちにいけよ」
「にぁ」
「さっさと御主人のところに行っちまえ」

気にとめなければいいだけの話なのかもしれない。
こんなどこにでもいるような猫なんて、気にしなければいいだけの話なのだ。
それでも目を引くしなやかな体と艶やかな黒毛は。

三上の根底に警鐘を鳴らす。

聞きたくは無い。こんな音は。

触れられでもしたら、もしかしたら消えるだろうか。

それを試す勇気など三上にはなかったから。

猫がいつものように身を返すのを、どこか安心しながら三上は見送った。






その姿を見つけたのは、路地裏ではなかった。
それでも見間違えなかったのは中々見ることの出来ない光すらたたえそうな黒毛。
最初に目にしたのは三上で。
藤代もすぐに気付き駆け寄った。

「・・・うそ・・・!どうしてだよ!!?」

膝をついて低く叫ぶ藤代に、渋沢は静かに瞼を落とす。
三上はなんの感慨も感傷もなく、今は動かないそれに手を伸ばした。
いつでも聡明だったこの猫が、不慮の事故で、例えば足を滑らせたなんてそんな下らない理由でこんな状態になるはずはない。

明らかに人の手が加わっただろう、折れた首の骨に。

こいつは猫だったんだ、とようやく思うことが出来た。

路地裏の住人は、猫でしかなく。




しょせん猫は猫でしかなかったのだ。

心無い人間に無造作にその命を止められるほど非力でなんの力も無い。

触れても三上が警戒したすべてのものを感じることは無い。




もっと早くに触れることが出来たら違った結末があったかと問われればそれは否と答えるだろう。
猫であることが解ったこの猫に自分が関わることなど万に一つも無い。

「どこか静かなところに埋めてやろうな」
「・・・そうっすね・・・」

それでももっと早くに触れていれば、こんな後味の悪い思いをしなかったかも知れない。

人懐っこいとは言えなかったが、それでも人怖じしない猫に哀れみと悲しみを感じることも出来たかも知れない。

「・・・この猫、この間、やっと俺に懐いてきてくれて、次は絶対って思ってて」
「そうか」
「ずっと可愛い猫だって思ってたんすよ」
「そうだな」

藤代に抱きかかえられた猫が、せめて苦しそうな形相でなかったことを見て取って。




あぁ、そうだ。可愛かったな。

このときになって、初めて三上は一人ごちた。




猫は猫でしかなかったのに。







END
This Edition : 200309172007





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