笑顔の行方





健全なこの街においても、人の欲を満たす薄暗がりは存在する。
人間は綺麗な部分もまた逆な部分を全て内包してそれとして存在するからだ。
昼を良しとする市があるなら、夜を基点とする界隈があるのも当然のこと。
花街。
その中心に位置するこの店において、店主は今日も・・・朝が早かった。



寝付いたのは夜も遅く早朝へとかかろうかと言う頃。
それなのにまだ日が東から差し込むこの時間に目が覚めてしまうのは、ついこの間までの習慣とは言え恐ろしいことだ。
客から貰った、時を刻む機械をまだ上下仲の良い瞼を抉じ開けて覗き、店主は苦笑してもう一寝入りを決め込もうとする。
が。
「てんちょー!朝メシ出来ましたよ!」
ドンドン!
壊れんばかりに木のドアを叩く手にそれは遮られる。
これが、あの可愛い同居人の声ならまだ納得もするが。
続いて許可もないのに開けたドアから姿を見せたのは、あの同居人とは似ても似つかぬ大柄な男。
「起きてくださいー!・・・って、ありゃ、店長もう起きたんだ」
「・・・あのなぁ」
「ちぇー。せっかく店長のあどけない寝姿を堪能しようと思ったのに」
無邪気な笑い顔は少し彷彿とさせるかもしれない。言っていることはとんでもないが。
「ま、いいや。おはよーございます、店長。朝メシ、冷める前に食っちまいましょうよ」
ちゃんと髪の毛くらい整えてきてくださいねー、と、小姑のようなことまで言って部屋を出て行った男に店主は大きく溜息を付く。
ここで起きなければまた殴り込み(実際に殴りはしないがそれよりたちの悪い)を受けてしまう。
十分学習している店主は、せめてもの意趣返しに起きたそのままのだらしない格好でダイニングへ向かう。
ぐちゃぐちゃの髪の毛に無精髭。着崩れた寝巻きだって、それでもここが店主の自宅であることを考えれば文句は言われないはずだ。
「あー、ちゃんと起きてきましたね」
「あのなぁ、君・・・」
「一日の始まりはうまい朝メシから。ほら店長、座って座って」
男は店主がまだ寝入っている間にトレーニングでも済ませてきたのだろう。首にかかったタオルは男の髪から垂れ落ちる水しずくを受け止めている。
言われるままに腰掛けた店主は、おいしいと言うにはかなり大雑把な飯を眺めながらまたひとつ溜息を付いた。
男は冒険者の間では一目置かれるほどの戦士らしい。酒場に行けばひっきりなしにパーティへの誘いを受けていると言う話を聞いたこともある。
「店長?どうしました?」
「・・・だから店長は止めてくれって言ってるだろう」
もちろん使用人にした記憶はない。それなのに何が楽しいのかこの戦士は居着いてしまった。
冒険もやめてはいない。気付いたらふらりと近場の遺跡にもぐっているようだ。それでも日を越して家を空けるときはきちんと事前報告ののち、ここに帰ることを認めさせられる。

最初は、長い間一緒だった店主の同居人と三人だった。
一箇所に落ち着くことはないと思っていた同居人だったけれど、この男を見て、決心を決めたらしく。
この間、自分たちの仲間を見つけて冒険者となった。
大きくなって欲しいのは店主の希望だったからそれについて文句はない。まだこの街にはいるようで、時々は顔を出しに来る。
それを出迎えるのが、どうして二人なのか、というのが問題だ。
何が楽しくてここに居着くのか。
実際はどうだか知らないが、巷で騒がれるほどの男ならばもっと大きな舞台があるだろうに。
なのに男は面白そうに目を丸め。
「じゃあ、チビスケに倣って『功兄』?」
「周防くん!」
「冗談ですって。功さん怒んないで」
おおっぴらに笑いながら店主のカップに牛の乳なんかを注いでいるのだ。

「まったく・・・なんで君がここにいるんだか・・・」
味付けは塩とビネガーだけと言うなんとも言えない朝食にも慣らされて、店主はやっぱり寝足りない頭で悪態をつく。
同居人がいたときは確かに、なるべく彼に合わせるように朝に起きていたりもしたが、それもなくなった今誰も文句を言わないはずだったのに。
「いい加減諦めませんかね」
「俺は諦めないぞ」
「意固地な功さんもいいとは思いますけどね」
渡された食後のお茶も苦かったり薄かったり。
自分だってそれを口にしているのに気にした様子もなく目の前で剣の手入れを始めた男を、店主は睨みつけながら一気に飲み干す。
悔し紛れに大きくあくびをしながら、カップを持って立ち上がる。
「店長?」
「君を雇った記憶はないって何度も言ってるだろう」
使用人ならこんな傍若無人を認めるつもりはないのだ。
「・・・ほら!」
「なんです?その手」
「カップ!食後のお茶くらいまともなのが飲みたいんだ!」
「ありがとうございます!功さん!」
お茶を淹れるのがうまかった同居人にこれだけは教えてもらった店主は、嬉しそうに笑う男に背を向けて内心頭を抱える。
結局この笑顔を持つ人間には弱いんだ。
同居人だった彼も、後ろで喜んでいることを隠さない男も、自分が置いてきた真っ直ぐな笑顔で前に立つから。

「あ、功さん。俺、明日から3・4日家空けるんですけどいいですかね」
「周防くんにほかに帰るところがあるなら大歓迎なんだけどね」
「ないです。から」

縋るような目で見上げられてしまえば、折れるしかこちらには手がないのだ。

「・・・あいつと会えたら久しぶりにこっちに寄るように伝えてくれないか?3人分の材料を用意して待ってるからって」
「!はい!もちろん捕まえて引っ張ってきますって」
「それじゃ駄目だろう・・・」
「チビスケ元気ですかねー」
「元気だろ」
「愛しちゃってますね、お兄さん」
「もちろん」

せいぜいこちらも笑ってやって、悔しそうな顔をさせるくらいは大目に見て欲しいものだと、店主は心地良い睡眠時間も一緒に、諦めたのだった。





END
This Edition : 200309222129





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